昭和7年
1932年/創立7年
所長 土佐敏一 | 8.6出直 |
主任 東井三代次 | |
所長事務取扱 東井三代次 | 8.28就任 |
カレンダー工場の生産量、全国の65%に達す |

全従業員82名
前年
カレンダー工場に従事する天理中等学校生徒は75名。平台8台、輪転機1台の印刷機でカレンダー(日めくり)日産3〜5万部。これは当時全国需要の1700万部に対し、1100万部製作していたことになる。尚冬季閑散期は、東京文運堂と契約し日産3万冊のノートを作っていた。
1.1
天理時報は1月1日号(第63号)より8頁建てとなる。
4.5
道友社出版部は発送事務所に移転(現道友社本通り西店)。
『時報』・『みちとも』の申込受付・整理を行う。書籍の販売は従来通り丹波市町三島418番地(本通り東店)で行う。
7.7
中山善衛ご誕生。
8
善衛ご誕生の天理時報『号外』を印刷、全国読者に配布。
8.6
土佐敏一所長(初代)現職にて出直。
28
東井三代次主任、所長事務取扱に就任。
9.15
朝日新聞社の了解を得て、東京築地活版所よりルビ付きの母型を購入。天理時報9月15日号(第101号)から7ポイントパラルビ付15字詰×13段組に変更。
10.18
天理図書館では英・仏・独語の『天理教』というパンフレット(タブロイド判4頁月2回発行)を創刊。各国語の母型を持つ印刷所として面目を発揮した。
20
『天理時報縮刷版』第1巻・第2巻を発行、以後現在まで引き続き印刷・納品。
11.11
陸軍特別大演習が当地方で実施され、御統監のため昭和天皇が行幸される。
17
天理時報は特別大演習の写真グラフとして、2頁を増頁発行。またこれに先立って、本教の紹介書籍やパンフレット作成のための印刷に多忙を極めた。
この時天理時報『号外』が大演習随行陣のおぢば滞在中に印刷発行され、大いに面目をほどこした。
その他の動き
教内の動き
1.8 | 北海道・東北の飢饉に「おせち」の生餅役70俵を贈る。 |
5.18 | 第1回ひのきしんデー。 |
8.18 | 第1回全国一斉路傍講演デー。 |
9.26 | 教祖殿、御用場上棟式。 |
10.27 | 「天理教青年会歌」選定。 |
12.4 | 中山為信本部員が、全国向けラジオ放送を行う。放送で天理教用語の使用を禁止される。 |
国内の動き
1.28 | 上海で海軍陸戦隊と中国の19路軍が衝突(上海事変)。 |
3.1 | 満洲国(現中国東北部)建国宣言。 |
5.15 | 海軍将校等首相官邸を襲撃、犬養首相を射殺(5・15事件)。 |
海外の動き
2.2 | ジュネーブで軍縮会議開催。 |
7.31 | ドイツでナチス党が第1党になる。 |