昭和6年
1931年/創立6年
所長 土佐敏一 |
主任 東井三代次 |
『天理時報』新聞判に拡大 輪転印刷機据付け |


6月
詰所会授産部では天理カレンダー工場南側に製版工場を設け中等学校生徒20名に製版工程の技術指導を行う。
7.2
天理時報編輯は第37号から図書館より道友社へ移管され編輯員も道友社編輯部に移籍。付録として『天理図書館月報』を発行。
26
『天理教統計年鑑』創刊、以後毎年1回印刷納品。
30
天理時報は10月から新聞判に拡大することになり、第41号付録として見本刷り紙を数十万部印刷、全国教区に配布。
8.10
天理中等学校勤労部では、寄宿舎(前の日光詰所/お墓地道)に印刷所・カレンダー工場とは別に製版工場を開き、生徒に教える。昭和12年4月カレンダー工場に合併されるまで続く。
9.10
天理時報紙面拡張と読者募集に伴い、従来刊行していた教務支庁や大教会などの機関誌を廃刊する動きが多くなる。
11
天理時報9月17日号(第48号)から第3種郵便物取扱の認可を受ける。(〒1部5厘)。
14
天理時報発送のために、中等学校生徒15名を採用。
この日から1週間道友社出版部で作業の練習をする。
18
天理時報印刷施設として、鉛版輪転機室(287.1m2)、宿直室の上棟式。9月2日建築許可、同5日基礎工事に着手、月末に完成という突貫工事であった。
10.8
天理時報10月8日号(第51号)から新聞判4頁建印刷。
題字は社章7個を模様に、宋朝体文字、本文9ポイント、パラルビ付、11字詰×13段組、定価3銭。
16
東京機械製作所製のマリノニー式輪転機据付作業完了。午後10時から真柱ご臨席のもとに試運転を行う。毎時3万部、天理時報10月22日号(第53号)から輪転印刷となる。
23
発送事務室、発送場として輪転機室南側道路に面して、木造2階建(290.4m2)の棟上げを行う。11月末完成。
12.1
当時の国風に応じ従業員一同據金して、奈良聯隊区司令部を通じて関東軍へ慰問金を贈る。
その他の動き
教内の動き
1.7 | 教祖50年祭、立教100年祭の教祖殿建築、神殿増築計画発表。 |
3.14 | 本教経営の奈良盲学校を奈良県へ移管。 |
5.24 | 高安大教会の献木記念徒歩団参。 この頃より献木団参相次ぎ、用材、山積。 |
6.26 | 神殿、教祖殿起工式。 |
8.4 | 真柱、宇陀菅野山の間伐下検分にご出発、11月飛騨の七宗山、12月高知へご出張。 |
国内の動き
1月 | 田川水泡の「のらくろ二等卒」連載開始。 |
3月 | 東京航空輸送がエアガール(スチュワーデス)3人採用。 |
9.18 | 満州事変の勃発。 |
10.8 | 関東軍参謀ら、独断で錦州爆撃を強行。国際世論の厳しい非難を浴び、日本は孤立化。 |
海外の動き
11.7 | 第1回全中国ソビエト代表者大会。27日臨時政府樹立を宣言。主席に毛沢東。 |