昭和35年
1960年/創立35年
社長 今西国三郎 専務 柴田正一 | 8.25就任 |
テレビでカラーが放映され、カラー時代の幕あけ
全従業員数275名
4.14
植字係の北原初子が、作業能率向上のため、鉛トタン罫の整理タンスを工夫考案し、表彰される。
23
真柱、天理市名誉市民第1号となる。
5.23
健康保険野球奈良大会に優勝 7A対3 平井真美館。
6.30
販売課で従来から取扱っていた一般書籍雑誌の販売を、売上不振で中止。教内書のみ販売することとなる。
7.1
輸送係を改組して天理興業株式会社を創設(資本金125万円)。
代表取締役に、福田七栄(前輸送係長)が就任。
8月
資材倉庫、植字室の一部及び旧新聞室を取り払って、植字室文選室を新築。旧文選室(本館2階)へ総務部が移転。
25
教庁主査室幹事の柴田正一が、取締役に新任され専務取締役に任ぜられる。
26
英文モノタイプ(レンドラム社製)一式購入。
これが本社での機械組版の初めである。
9.10
預かっていた特漉きの「教祖伝紋入り用紙」30万2500枚を印刷の段階に至らないため、こふき委員会へ返品。
10.8
35年度奈良県知事杯軟式野球大会に優勝。
12.5
職制(6条)事務分掌規程(5条)を改正して、年史編纂係を設け、社内外の情報整理を急ぐことになる。
その他の動き
教内の動き
1月 | 天理大学で、1年おきに三笠宮様の集中講義が始まる。 |
7.7 | 真柱、国際宗教学宗教史会議出席及び、オリンピック視察員としてご渡欧。8月11日モスクワの国際東洋学会会議、9月16日マールブルクの国際宗教学宗教史学会議で研究発表。 |
12.1 | 天理高校二部の農業科生9名が農業移民としてコロンビアへ向け横浜港出港。 (36年8月第2陣6名出発) |
国内の動き
1.1 | ワシントンで新安保条約調印。 |
6.15 | 安保改正阻止に全学連主流派が国会に突入、警官隊と衝突。 |
10.12 | 浅沼社会党委員長、日比谷公会堂で右翼少年に刺殺される。 |
海外の動き
9.14 | 石油輸出機構(OPEC)結成。 |
11.9 | 米大統領にジョン・F・ケネディが当選。 |