昭和19年
1944年/創立19年
社長 岡島善次 専務 松井忠義 |
カレンダー工場合併と養徳社の創立(出版部分離)

天理カレンダー株式会社は、盛業時全国の殆どを供給していたが、戦時下配給用紙が削減され、作業継続不可能となり本社に合併される。従業員27名は本社に移籍、同工場は分工場となる。
用紙の徹底的節約と、新聞雑誌の整理は厳しくなったが、『みちとも』は教報、『天理時報』は宣伝教化機関紙としての存続発行を許可。
乙種海軍飛行予科練習生用教科書の印刷・製本完納に対し、航空総隊司令官から、感謝状伝達が本社講堂で行われた。これによって海軍監督工場に指定。
大家族従業員辻川秀吉(17年は末吉)(6人)外7名を表彰。
出版事業令により企業整備が行われ、出版部は甲鳥書林、六甲書房、朱雀書林、古書通信社を吸収合併して、株式会社養徳社設立の準備に着手。
労働者年金保険が厚生年金保険となり、工場従業員は引き続き加入。事務関係従業員は今回新加入。
用紙事情は更に逼迫して、天理時報の一部分配布先の発送停止となり、社告を出す。
天理女子専門学校生徒66名は、学徒動員として入社。講堂で入社式挙行、その後繰上卒業で9月25日退社。
株式会社養徳社創立(本社出版部は発展的解消する)。
「営利にとらわれずに良書を発行し、わが国出版文化の発展に貢献する」という真柱の構想のもとに4社を吸収して設立。取締役社長に中市弘、常務取締役に矢倉年(以上甲鳥書林)、時報社側からは、岡島善次が専務取締役、高橋道男・富永上野清治が取締役、松井忠義・生駒藤雄が監査役に就任(後、甲鳥書林側の退社により、松井専務、生駒常務となる)。
教内と社会との、かけ橋になることを目指して、文芸書、教養書を中心に活発な活動を始める。
天理少年学校高等科2年生18名、二階堂村中央国民学校高等科2年生12名は学徒勤労報国隊として本社に動員され、海軍関係教科書製作に従事。
その他の動き
教内の動き
6.23 | 厚生省から本教に対し、ひのきしん隊1日1万人鉱山派遣の要請あり。 |
7.1 | 諭達第14号公布。 ひのきしん隊編成動員要綱発表。「いざ・ひのきしん隊」と呼称、炭鉱奉仕をする。 |
9.30 | 真柱、「大日本戦時宗教報国会」発会式にご出席。 |
国内の動き
6.15 | 米軍サイパン島に上陸、7.7陥落。 |
7.18 | 東條内閣総辞職。22日小磯内閣成立。 |
8.4 | 学童集団疎開第1陣、上野駅を出発。 |
10.24 | レイテ沖海戦始まる。武蔵・瑞鶴など沈没。 |
25 | 神風特別攻撃隊(特攻隊)初出撃。 |
海外の動き
6.4 | 米・英軍、ローマ入城。 |
6 | 連合軍、ノルマンディーに上陸。 |
8.25 | 連合軍、パリ解放。 |