昭和43年

1968年/創立43年

社長 滝井芳次

写真製版はフィルムに、刷版はPS版に近代化

全従業員数261名

1.1

大晦日の火事で正月休み中であったが、被災従業員に直ちに救援の措置が講じられ、洗心寮の被災学生は一時陽心寮に、社宅の従業員家族は平端の独身寮に収容した。

1月

平版刷版材としてアルミ板の使用を始め、近代化の促進のため研磨をしないPS版に変わっていく。

3.24

洗心寮の被災学生は陽心寮から、元アメリカ詰所の跡へ移転。

4.1

道友社の新機構により、本社販売課が長く扱っていた「教内書販売」を道友社へ移管。わが社の書籍販売はこれで幕を閉じ、従業員は他の部門に配属し、書籍販売課は解消する。
滝井社長、県印刷工業組合理事長に就任(昭47年10月まで在任)。

14

労働組合が結成20年を迎え、祝賀行事を挙行。

6.9

『天理時報』は発刊2000号を重ねる。

18

中根部長、シカゴのプリント68の印刷機材展、及び工場見学のため渡米(29日まで)。

9.16

従業員住宅を、旧昭和中学校跡の北側にある教会本部の土地をお借りして、30戸建てることになる(所在地=大和郡山市額田部北町465の1番地)。
洗心寮は旧丹波市町避病院跡を改装して使用することに決定(所在地=天理市勾田町38の1番地)。

10.10

「平端社宅」中山慶一本部員の祭主で地鎮祭を執行。

25

真柱継承奉告祭執行。慶びの帰参者30万人。前夜には5万人の提灯行列など奉祝行事がつづく。

11.3

従業員慰安会は、観光バスで平安神宮、比叡山、琵琶湖大橋方面に遊ぶ。

洗心寮改装完了する。

12.31

「平端社宅」の一部が完成したので、第1陣の6戸が入居。
 (庭付き1戸建て、3DK、プレハブ住宅)
 (土地 約50〜60坪、建物16坪)

この年

中根工務部長、印刷学会西部支部長に就任(昭和46年まで在任)。

その他の動き

教内の動き

5.29青年会創立50周年記念事業である「あらきとうりょう号」車による、海外巡回隊出発(12月29日までユーラシア大陸30国3万5000Km走破)。
6.16天理教アマチュア無線局開局。
11.1昭和34年以来本部中庭に建てられたテント用の鉄骨撤去される。

国内の動き

1.29東大医学部学生、登録医制度反対のスト突入。東大紛争始まる。
6.26小笠原諸島23年ぶりに日本復帰。
10.17川端康成、ノーベル文学賞の受賞決定。
12.10東京都府中市で3億円強奪事件発生。

海外の動き

4.4米黒人運動指導者キング牧師暗殺。
8.20ソ連など5ヶ国軍、チェコ進攻。
11.6共和党のニクソン、米大統領に当選。