昭和30年
1955年/創立30年
社長 岡島善次 専務 上野清治 |
殆どの仕事を止めて、「年祭御用」に専念する
全従業員数280名
1.1
『みちとも』1月1日号(通巻第120号)から再びB5判128頁になる。
天理時報1月1日付(第1261号にグラビヤ刷4頁)を添付。
『おふでさき』印刷開始を上田嘉成こふき委員長より指示される(以後500枚刷る毎に1枚宛集成部へ届け、許可を得ながら印刷することになる)。
6.5
組合青年部、産経新聞本社工場社会見学。
8.27
健康保険野球大会決勝戦で0対3で積水化学に敗れる。
9.7
『天理教教祖伝』用紙の漉き始め視察の為、こふき委員長上田嘉成本部員、こふき委員田中喜久男、大同洋紙店今井氏、本社からは上野清治専務、森忠平営業第2課長の5名、十条製紙小倉工場に出張、漉色を選択注文。用紙はB列本判55kgで総量605連。表紙の「鳥の子用紙」は2万1000枚を上山製紙所に注文。
10
『天理教教祖伝』用紙の漉入れの教紋決定、大阪日本金網工業株式会社へダンディロールを特注。
26
『おふでさき』新組版の許可あり、紙型2通作る。
12.13
『おふでさき』第4回目の印刷(3500部)分完了、これで総計2万部の印刷を終わる。

その他の動き
教内の動き
1.19 | 別席取次に本部婦人18名任命。 |
28 | 初めて「鼓笛バンド講習会」開催。 |
3.20 | 中山前![]() |
9.27 | 天理教音楽研究会発足。 |
10.26 | おやさとやかた第1期工事完了。やかた開き、別席場使い初めの儀執行。 |
11.26 | 『天理教教祖伝稿案』を取次、年祭準備委員に配布。 |
国内の動き
2.27 | NHKがテレビで衆議院総選挙開票速報を初めて実施。 |
11.15 | 自由・民主両党合併、自由民主党結成。 保守合同なる(55年体制)。 |
この年 | 戦後最高の豊作、景気回復、神武景気到来。 |
海外の動き
4.18 | アジア・アフリカ会議(バンドン会議)開く。29ヵ国参加。 |
5.14 | ソ連と東欧がワルシャワ条約機構を創設。 |