昭和19年

1944年/創立19年

社長 岡島善次
専務 松井忠義

カレンダー工場合併と養徳社の創立(出版部分離)

3.31

天理カレンダー株式会社は、盛業時全国の殆どを供給していたが、戦時下配給用紙が削減され、作業継続不可能となり本社に合併される。従業員27名は本社に移籍、同工場は分工場となる。

4.29

用紙の徹底的節約と、新聞雑誌の整理は厳しくなったが、『みちとも』は教報、『天理時報』は宣伝教化機関紙としての存続発行を許可。
乙種海軍飛行予科練習生用教科書の印刷・製本完納に対し、航空総隊司令官から、感謝状伝達が本社講堂で行われた。これによって海軍監督工場に指定。
大家族従業員辻川秀吉(17年は末吉)(6人)外7名を表彰。

5.1

出版事業令により企業整備が行われ、出版部は甲鳥書林、六甲書房、朱雀書林、古書通信社を吸収合併して、株式会社養徳社設立の準備に着手。

6.1

労働者年金保険が厚生年金保険となり、工場従業員は引き続き加入。事務関係従業員は今回新加入。

7.30

用紙事情は更に逼迫して、天理時報の一部分配布先の発送停止となり、社告を出す。

8.15

天理女子専門学校生徒66名は、学徒動員として入社。講堂で入社式挙行、その後繰上卒業で9月25日退社。

10.14

株式会社養徳社創立(本社出版部は発展的解消する)。
「営利にとらわれずに良書を発行し、わが国出版文化の発展に貢献する」という真柱の構想のもとに4社を吸収して設立。取締役社長に中市弘、常務取締役に矢倉年(以上甲鳥書林)、時報社側からは、岡島善次が専務取締役、高橋道男・富永上野清治が取締役、松井忠義・生駒藤雄が監査役に就任(後、甲鳥書林側の退社により、松井専務、生駒常務となる)。
教内と社会との、かけ橋になることを目指して、文芸書、教養書を中心に活発な活動を始める。

25

天理少年学校高等科2年生18名、二階堂村中央国民学校高等科2年生12名は学徒勤労報国隊として本社に動員され、海軍関係教科書製作に従事。

その他の動き

教内の動き

6.23厚生省から本教に対し、ひのきしん隊1日1万人鉱山派遣の要請あり。
7.1諭達第14号公布。
ひのきしん隊編成動員要綱発表。「いざ・ひのきしん隊」と呼称、炭鉱奉仕をする。
9.30真柱、「大日本戦時宗教報国会」発会式にご出席。

国内の動き

6.15米軍サイパン島に上陸、7.7陥落。
7.18東條内閣総辞職。22日小磯内閣成立。
8.4学童集団疎開第1陣、上野駅を出発。
10.24レイテ沖海戦始まる。武蔵・瑞鶴など沈没。
25神風特別攻撃隊(特攻隊)初出撃。

海外の動き

6.4米・英軍、ローマ入城。
連合軍、ノルマンディーに上陸。
8.25連合軍、パリ解放。