昭和18年

1943年/創立18年

社長 岡島善次
専務 松井忠義

町は「予科練」で溢れ、仕事は「教科者」に追われる

1.1

新聞用紙制限のため新年号4頁、その他は2頁建て、月1回4頁を印刷・発行。
『みちとも』は2月号(通巻第778号)から64頁建てとなる。

3.14

天理時報付録として、一字会版を月1回印刷・発行。

4.21

本社主催第3回教内紙芝居競演大会開催。

6月

一字会の標語ポスター「朝起・正直・さあ働こう」(B3判)20万枚を印刷。

8.1

東京支局は教務支庁から東京都芝区新橋町4丁目46番地へ移転。

9.23

海軍練習聯合航空総隊(横須賀)から乙種飛行予科練習生用の教科書(航空・気象・数学・国語・歴史・生理衛生外計42点)の印刷・製本を突然依頼(命令)される。内容は各B5判で、合計組版は5000頁に上り、印刷部数は各2万冊、更に納期は11月30日で、経費は軍予算の範囲である。
会社・従業員・家族一体となり、残業、徹夜の昼夜兼行で、更に増えた部数も納め切った。

11.7

用紙節減の強化は深刻となり、天理時報は全部2頁建て、印刷発行部数も大幅に制限される。

その他の動き

教内の動き

4.10教庁に文教部新設。教学機関に関する諸活動を所管。
7.28中国医療事業開発のため、神尾知博士一行26人出発。
10.21天理外国語学校出陣学徒壮行会。
12.1海軍予科練宿舎に、信者詰所の大半を提供。

国内の動き

2.1日本軍ガダルカナル島から撤退。
4.18山本連合艦隊司令長官ソロモン上空で戦死。
5.29アッツ島の日本軍守備隊2500人玉砕。
10.21明治神宮外苑で、出陣学徒の壮行会挙行。
11.5東京で大東亜会議を開催。
12.24徴兵適齢を1年繰り下げ19才となる。

海外の動き

2.2スターリングラード攻防戦終わる。
9.8イタリア、無条件降伏。